中国の焼き物 景徳鎮の歴史と特徴
焼き物、いわゆる陶磁器は、私たちの生活における身近な存在であり、世界中で日々使用されています。我々と焼き物の付き合いは、狩猟採集生活の時代から始まりました。私たちの祖先が土をこねて形をつくり、火で焼き固めて丈夫なものにすることを発見し、現在に至るわけですから、ざっと見ても一万年以上も前から私たちと付き合ってきたことになります。そのため、世界中の様々な国や地域で生産されており、日本においても多くの地域で生産されています。 陶磁器というと、個人的には不思議と東洋のイメージ、特に中国で作られた印象が強いのですが、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょう。例えば、「景徳鎮」という言葉を耳にされたことはありませんか? 「景徳鎮」は中国の江西省東北部に位置する景徳鎮市の窯で製造された陶磁器です。その歴史は深く、なんと今から1000年前の宋の時代まで遡ります。当時は「昌南鎮」と呼ばれていましたが、宋代の景徳年間に宮廷に納める磁器を制作していたことから改名されました。長い歴史の中で中国における歴代宮廷で愛されただけではなく、日本はもとよりヨーロッパや中東のイスラム圏、中には東アフリカへ渡ったものもあったそうです。幅広く輸出され、多くの人々の手に触れられてきたのでしょうね。最初はシルクロードを旅するキャラバンによって、らくだの背に揺られながら、少しずつ西へ西へと運ばれていったのでしょう。想像すると歴史の雄大さを感じてしまいます。長い旅を経て訪れた異文化の陶磁器は、それを手にした中近東の人々、ヨーロッパの人々の目にどのように映ったことでしょう。その感動や驚きは想像がつきません。 各国へ輸出された中国の陶磁器は、世界の窯元に強い影響を与え、日本では「伊万里焼」が景徳鎮の影響を受けたと言われており、ヨーロッパでは、ドイツのマイセンが影響を受け、生産が始まったと言われています。では、その特徴はどのようなものだったのでしょうか。 宋代では白磁・青磁の製造が主流でしたが、白色素地に淡青色の釉をかけ、青みを帯びた色合いを出した「影青(いんちん)」は特に有名なものでした。 元代になると白地にコバルト顔料による鮮やかな青色で模様を素地に直接絵付けをし、透明釉をかけて高火度で焼成する「青花(同様のものを日本語では「染付」と言います)の製造が始まり、さらには酸化銅を顔料とする「釉裏紅」も製造され始めました。青の発色の美しさは、手にした人々の心を魅了したことでしょう。 景徳鎮では現在も陶磁器生産を行っています。歴代の王朝からは官窯として保護され、近代では国営工場として運営されてきましたが、最近は民間工場が進出。国営工場の民営化がはかられているそうです。近年は観光で訪れる人も多く、「景徳鎮湖田古窯遺跡陳列館」などで、様々な展示を見ることができます。 コロナウイルスが落ち着いたら、現地を訪ねて、その歴史に触れてみたいものですね。